晩秋

人間の証明

30歳

勢いのあった夏が終わった。

8月、たまたま入ったカフェの求人広告にその場のノリで応募してそのまま正社員となった。

都内でも10店舗ほど展開しているお洒落なカフェレストランだった。

9月から調理スタッフとして働き始めた。

しかし指導してくれる先輩の一人がいつも冷たく厳しかったのと、労働条件が悪かったのもあって1ヶ月もせず辞めてしまった。

自分はなぜこうもダメなのだろうとひたすら落ち込んだ。

やっと無職から脱出して職を得たのにすぐにまた無職に舞い戻ってきたのだ。

それから2ヶ月。

カフェに応募したのと同時期に登録していた、ライブイベントの派遣スタッフのアルバイトをしていくばくかの金を稼いでいる生活。

今月の家賃が払えそうにない。

春のときのようにまた滞納してしまうのは嫌だ。

住宅確保給付金という制度を利用してみることにした。

いわゆる家賃補助ってやつだ。

ネットで調べると区役所に行けとあるので区役所まで足を運ぶ。

朝から冷たい雨が降り続いていてとても寒い日だった。

区役所の案内の人に聞いてみるとここではなく社会福祉協議会へ行けと言われる。

区役所から電車で10分ほど移動して駅からまた10分ほど歩いた先のビルに社会福祉協議会があった。

マスクをした若い女性が対応してくれた。

住宅確保給付金について相談すると丁寧かつ親切に説明してくれた。

いろいろと用意しなければいけない書類や条件があることがわかったが、どうやら制度を利用できそうだった。

必要な書類が揃ったらまた連絡するように言われその日は1時間ほどでビルを出た。

それが先週の金曜日だ。

そしてこの日記を書いている現在、何も手をつけていない。

家賃の引き落とし日が近いので早めに行動しなければいけないのだが、いつもの悪い癖でなかなか行動に移すことができない。

何より億劫なのは住んでいる部屋の管理会社に電話して事情を説明し書類を作ってもらわなければならないことだ。

電話が面倒臭い。

電話が嫌いだ。

それでも、やらなければいけない。

今月を乗り切ればバイトも入れて何とか生活していけそうだ。

で、今月を乗り切ったとして、その後どうする?

ハローワークに行って仕事を探して、職を得たとして、その後どうする?

生きててどうする?

何もやりたいことがない。

何も目的がない。

これから必死になって就活をしたところで、やっと人並みかそれ以下の仕事を得るだけだ。

未来に期待できない。

30歳。

職なし、恋人なし、金なし。

頭にはいつも自殺の二文字がある。

ゴールデンバット

JTの発表によると「わかば」「エコー」「ゴールデンバット」の3銘柄が廃止になるらしい。

私は普段ゴールデンバットを愛飲しているので非常に残念だ。

ゴールデンバットの販売が開始したのは明治39(1906)年。

100年以上の歴史があり、ラム酒の香りがする”スイート&マイルド”な味が魅力だ。

20本入って価格も330円と安かった。

芥川龍之介太宰治中原中也坂口安吾など多くの文豪が好んだ煙草としても知られている。

 

私が煙草を吸い始めたのは26歳で一般的には遅いデビューだろう。

それまでは煙草の匂いが嫌いだったし吸いたいと思ったこともなかった。

26歳、私が無職になり引きこもりがちになった年である。

大げさに言えば人生に疲れ自暴自棄になっていた。

退廃的で破滅思考が強くなっていったのだ。

そんなときふと煙草でも吸ってみようと思った。

煙草を吸うとガンになるリスクが高くなるとか様々な健康への悪影響はよく理解していた。

内側から汚してしまえ、病気になるならなってしまえ、といった思いだったはずだ。

 

いざ煙草を吸おうかというときに困ったのが何を吸ったらいいかということだった。

コンビニに並んでいるだけでも煙草の種類はとても多い。

そんなとき頭にあったのがゴールデンバットだった。

学生の頃から太宰治坂口安吾が好きだった私は本の中でしばしば目にした名前だったのだ。

文中では「バット」などと呼ばれて昔はこんな煙草があったんだなと思っていた。

まさか今でも売られているわけがないだろうと思いつつもネットで検索してみると、現役で販売されていることを知りとても驚いたのを覚えている。

パッケージのデザインも気に入ってこれを吸ってみようと思った。

 

初めて吸ったときの感想は「苦いし臭いし口の中や喉がベタベタする」だった。

ゴールデンバットはニコチンが1,0ミリ、タールが15ミリもある。

初めて吸うにはかなり重い煙草だったのだが、好きな作家への憧れや、阿呆な意地もあって慣れるまで吸い続けた。

加湿すると雑味が消え美味しくなることや、クールスモーキングなど、吸いかたの工夫も覚えた。

今では他にも吸う銘柄はあれど、基本はゴールデンバットを吸っている。

他にはない魅力がある煙草なのだ。

 

そのゴールデンバットが無くなってしまう。

突然の発表で、現在の在庫を売り切りしだい廃止になるという。

鬱々とした日々のちょっとした気分転換に、喫茶店で珈琲と一緒に、煙を吐く時間が心の拠り所になっていた。

 

ゴールデンバットが買えなくなったら煙草をやめるかもしれない。

これからの日々にスイート&マイルドな時間が失われてしまうのだ。

煙草を一本

煙草を吸おうと外に出たはずだった。

普段なら玄関のドアを開けるとすぐ目の前が一軒家の壁になっている。

いつもその壁を見ながら、または家と家の僅かな隙間から見える空を見上げて煙を吐き出すのが常だった。

しかしその日、眼前にあるのは果てしなく広がる黒い海であった。

 

何が起きたのか理解できず息をするのも忘れてただ呆然としてその黒い海を眺めるしかなかった。

しばらくして波の音と潮の匂いが徐々に身体に伝わってきて我に返る。

後ろを振り向いてみると玄関どころか自分の住んでいるアパートが跡形もなく消えている。

どこまでも闇が続いているだけだった。

また海に向かってみる。

足元を見ると、ゴミや石がひとつもない、非常に細かな粒子の砂地になっている。

空を見上げれば、驚くほど輝きの強い星が無数に瞬いているのだった。

星の集団が、天の川とはまったく違う、今まで見たことのない形を作っていた。

 

何かの拍子に別世界にでも飛んできたのだろうかと、不思議と冷静に考える自分がいる。

恐怖心はなかった。

うっとりするほど綺麗な星空と、穏やかな波の音に吸い込まれて、心地いい浮遊感のようなものを感じた。

 

手元にはライターと煙草が一本握ったままだった。

煙草に火をつける。

一口吸って驚いた。

手に持っていたのはいつものゴールデンバットだったはずなのに、まったく味が違うのだ。

パッションフルーツのような甘さと爽やかさが口の中に広がっていく。

煙を空に向かって吐くと、見慣れない星々がより一層輝きを増した気がした。

心地いい空間と美味しい煙草のせいか、このおかしな状況を考えようともしなかった。

 

ゴールデンバットは短い煙草だ。

それに加えあまりの美味しさにあっという間に火が消えようとしている。

すると、急に星空が暗くなっていくことに気づいた。

さっきまで燃えるように瞬いていた星々がひとつまたひとつと消えていくのだ。

この世界の唯一の灯が静かに消えていく。

煙草の火もフィルターぎりぎりまで吸って消えてしまった。

空には一切の灯が無くなった。

途端に心地よさも薄れていき大きな不安感がおそってくる。

ライターをつけようと試みたがまったく火がつく気配がない。

急に風が吹きだした。

波が強くなり足元を濡らしている。

二三歩下がったその瞬間、少し先の海で巨大な何かが飛び上がった。

暗闇の中でもその巨大な影だけははっきりと見えた。

クジラのような四角い頭をしている。

飛び上がった巨大な何かが海に落ちていく姿は、異様にゆっくりと感じられた。

巨体が海に打ちつけられる音が響く。

大量の海水がしぶきとなってこっちにまで降り注いできた。

私は目を閉じり両手を頭の上にかざした。

体が冷たく濡れていくのがわかった。

 

ゆっくりと目を開けると、いつもの隣の家の壁がある。

はっとしてすぐに周りを見渡すと、さっきまでの黒い海や星空は無く、私は自分の部屋の玄関先に立っていた。

手元を見ると、ライターと煙草を一本握っていた。

何万年もの進化を重ねてきた脳がこの程度

宮沢賢治が言う”ほんとう”のしあわせを知りたい。

”ほんとう”とは何かを知りたい。

 

30年生きてきて

もうやりたいことも無いし何もかもが面倒だ。

日々自意識に苦しめられている。

何万年もの進化を重ねてきた脳がこの程度かと思う。

おそらく千年後、一万年後の人間もくだらないことで悩んだり自殺しているんだろう。

 

こんなに苦しいのに

こんなに死にたいのに

それでも

これから先も生きていかなければいけないらしい。

 

Twitterでは毎日いろんな人が死にたがっている。

望み通り死ねればいいのになと思っている。

苦しみがわかるからこそ

「生きて」なんて無意味なことは言わない。

「死ねたらいいね」とわざわざ言わないにしても

いつもそう思っている。

 

今日も生きた。

明日もたぶん、生きているはずだ。

真っ赤な空と真っ赤な海

また凶悪な事件が起きた。

放火によって多くの人が死んだ。

犯人は恨みを持っての犯行だったようだが詳しい動機はよくわからない。

亡くなった人はなぜ死ななければいけなかったのだろう。

その家族は・・・。

ワイドショーではしばらくこの事件ばかり連日報道するだろう。

ネットやSNSではあることないことそして不謹慎な冗談までもが飛び交うだろう。

 

何か事件が起きなくても毎日たくさんの人が死んでいる。

人は死ぬために生まれてきたのか。

生きるために死ぬのか。

命を奪って奪われて

自ら命を投げ出して

なんて血生臭い生物なんだろう。

なんて血生臭い世界なんだろう。

 

エヴァンゲリオンでは海が真っ赤に表現されていたけれど

あれが本当で青い海なんて嘘じゃなかろうか。

 

子供の頃

空が青いのは海の青さが太陽光で反射しているからだと思っていた。

空の青色が好きだった。

 

今では空が青いのは反射ではないことを知っている。

人は殺しあうことを知っている。

人が自殺することを知っている。

赤い血がたくさん流れていることを知っている。

 

空の色はすっかり真っ赤に染まっている。

なぜなら海が真っ赤だからだ。

シンディ・ローパー

まだ小学校に上がる前だったと思う。

家の居間には親が買ったCDとテープが聴ける黒くて大きなコンポがあった。

コンポにはタンスの引き出しのようなものがついていてそこにCDやテープを収納できるようになっている。

コンポの操作を覚えた私は機械を操作できることが楽しくて何か聴いてみることにした。

引き出しを開けると何枚かのCDとテープが雑に入れられている。

そこで一枚のCDが目に止まった。

それは真っ赤な背景に真っ赤なハットを被り真っ赤な口紅をした金髪の女性の顔が写っているジャケットだった。

ケースからCDを取り出し試しコンポに入れ再生ボタンを押す。

スピーカーが震え曲が流れ出す。

綺麗なメロディーに伸びやかでパワフルな歌声。

思わず踊り出したくなるような軽快なリズム。

衝撃的だった。

コンポの前に立ち尽くしてしばらく動けなかった。

聴いた瞬間からそのアーティストが好きになっていた。

私が初めて音楽を好きになった体験である。

 

後になってそのアーティストがシンディ・ローパーだと知るのだが

私はしばらくのあいだ名前もわからず毎日そのCDを聴いていた。

そしてコンポの前でへんてこなダンスを踊っていたのだ。

 

シンディ・ローパー

私が音楽を好きになるきっかけを与えてくれた素晴らしいアーティストであり世界的なスターだ。

 

彼女は1953年にニューヨークに生まれる。

12歳の頃からギターを弾いて曲を作っていたが

学校には馴染めず授業には出ず絵を描いたり歌を歌って過ごしていたという。

17歳になると愛犬を連れてカナダに旅に出てしまう。

そこでアートスクールに通ったり生活のために様々なアルバイトをして過ごす。

旅から戻り再びニューヨークで暮らすようになるとバンドを組んでライブハウスで歌うようになった。

レコードを出しデビューも果たすが成功することはなく自己破産も経験している。

しかし彼女は歌うことをやめなかった。

再び歌手としてデビューするチャンスを掴んだ彼女はソロシンガーとしてのファーストシングルで大ヒットを遂げることになる。

それが"Girls Just Want To Have Fun"だ。

www.youtube.com

その後も立て続けに

"Time After Time"

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"She Bop"とシングルを出せばすべてヒットした。

www.youtube.com

こうして彼女はアメリカだけではなく世界的なスターになっていく・・・

 

私がコンポで聴いて衝撃を受けたCDは1994年に発売されたベストアルバムだった。

"Twelve Deadly Cyns...and Then Some"

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今見てもジャケットが美しい。

 

衝撃の体験から十数年が経ち

大人になった私はシンディ・ローパーの姿をこの目で見て、歌声をこの耳で聴くことになる。

彼女が来日し、サマーソニックに出演したのだ。

チケットを買い興奮して会場に向かったのをよく覚えている。

初めて見る彼女はあまり身長は大きくなく

派手な衣装にカラフルな髪をしていて

永遠のガールと言われるだけあってとても可愛らしく見えた。

しかし歌い出すとその印象が一変する。

どこからあんな声が出るのだろうと不思議なほどパワフルな歌声がビリビリと身体に響き渡ってくる。

その時の彼女はもう60歳を超えていたはずだ。

それなのに、コンポの前で聴いたCDの歌声と何も変わっていなかった。

あの時衝撃を受けた歌声を、目の前で聴いていることが嬉しくて感動して、気づけば涙を流していた。

 

その後も武道館でのコンサートに行ったりと彼女の魅力にますます虜になっている。

彼女は現在66歳であるらしい。

これから来日してくれることが何度あるだろう。

今でも彼女の音楽が大好きだし、また生の歌声を聴ける日が来ることを願っている。

雰囲気のいい爺さん

昼過ぎから友人と駅前で待ち合わせ。

今日も空は曇天模様で雨がしとしと降っていた。

駅前近くと太鼓の音がして人通りが多い。

どうやら今日はお祭りがあるらしい。

そういえば祝日で海の日だった。

駅前には小さな露天が並び浴衣を着た幼い少女が走り回っている。

 

多くの人で賑わっている中に友人の姿を見つける。

今日はカメラマンをしている友人にある頼みごとをされた。

その頼みごととは

「街中を散策しながら雰囲気のいい爺さんの写真を撮りたいので付き合ってほしい」

というものである。

雰囲気のいい爺さんとは具体的になんなのかはわからないが雰囲気のいい爺さんを探すため友人とあてもなく散策することとなった。

 

雰囲気のいい爺さんとやらをどこで探すのか

友人に訪ねたがまったくのノープランであったらしく

とりあえず喫茶店に行きそこで作戦会議をすることにした。

たまたま私が行きたい喫茶店があったので新宿へ移動。

新宿で改札を出ると選挙運動の人々で騒がしい。

騒がしい人々の中で路上に座り込む老人が目につく。

ホームレスらしき老人が自分の足元にダンボールの切れ端を置いてその上に数枚の小銭も乗っている。

どうやら乞食をやっているようだ。

 

友人は試しにその老人に写真を撮らせてもらえるように声をかけてみることにした。

少し離れたところから二人の様子を伺う私。

友人は老人のもとへ近づいていき財布から小銭を取り出すとダンボールの切れ端の上に置く。

老人が笑って手をあげお礼のような仕草をした。

友人は写真を撮らせてくれるようお願いをする。

すると老人が指を一本立て言った。

「しぇんえん」

どうやら写真を撮りたいなら千円よこせと言っているらしい。

滑舌が悪く言葉は聞き取りづらいが何を言いたいか友人も理解したようだ。

友人は困った顔をしながらそれでも頼んでみる。

今度は老人の手がパーの形に開き

「ごしゃくえん」

と聞こえた。

千円がだめなら五百円と言いたいようだ。

さすがに路上生活をしているだけあってなかなか手強い。

友人はそこで諦めて私のもとへ戻ってきた。

「あれはきびしいね」

「まあそんなもんだろ。いい人は他にいるでしょ」

けっきょく老人に小銭を恵んだだけで目的の喫茶店へ向かうことになった。

 

新宿駅を出て徒歩10分ほどの場所に「らんぶる」という老舗の喫茶店がある。

以前からネットで見て行きたかった店だった。

創業は1950年であるらしく

店内に入ると一階は10席ほどの喫煙席だが禁煙の地下にはなんと200席もある。

それだけの席数がありながら私たちが行った時は満席で数組が並んでいた。

蝶ネクタイに白シャツできめたスタッフの言うところではあまり待たないということだったので列に並んで待つことに。

 

10分ほどして地下の席に通された。

まるで昭和の世界にタイムスリップしたような景色だった。

紅色の絨毯に紅色のソファ

天井からはシャンデリア

シルバートレイを持ったホールスタッフが忙しなく動き回っている。

地下とは思えないほど広い空間でとても気分がいい。

注文したのはブレンドコーヒー(700円)

爽やかでフルーティな味である。

半分ほど飲んだところでミルクを入れて飲んでみたが驚いた。

ミルクが美味しいのだ。

普段行くような安いチェーン店のミルクとはまったく違う。

優しい甘みがあってとても美味しい珈琲になった。

素敵な空間に美味しい珈琲。

これ以上ない贅沢な時間だ。

 

ミルクの美味しさに驚きながら友人とこの後の相談をする。

雰囲気のいい老人がいそうな場所

老人といったら公園だろうということで

歩いていける距離の代々木公園に行くことにした。

美味しい珈琲とミルクに満足して店を出ると二人でまた歩き出した。

 

30分ほど大きな通りを歩いて代々木公園についた。

いつもの休日ならたくさんの人で賑わっているのだろうが

雨が降ったこともあってか人はまばらだった。

 

公園を散策する。

犬の散歩をする人

キャッチボールやフリスビーをして遊ぶ人

ベンチでくつろぐカップ

楽器を鳴らしてパフォーマンスをする人

人目もはばからず濃厚なキスをする中年カップ

人が近づいても逃げないカラス

 

人気のない林の中で椅子に座りひとりギターを鳴らして

おそらく自作の歌っている中年の男性がいる。

友人はその男性が気になったらしい。

男性に声をかける友人。

どうやらいい人そうである。

交渉はうまくいき写真を撮らせてもらえるようだ。

 

しばらくして友人が写真を撮り終えて私のもとへ。

それなりにいい写真が撮れたようで友人は満足していた。

その後も代々木公園から原宿、そして渋谷へと歩いたが雰囲気のいい爺さんは見つからなかった。

しかし少しでも収穫があったのは確かであり

友人とはまた散策に出る約束をして解散となった。

 

帰宅するとどっと疲れを感じた。

スマホの万歩計を見ると半日で約10キロ歩いていた。

それも休日の人混みの中を歩き回ったので余計に疲れたように感じる。

今日はぐっすり眠れそうだ。